育休について勉強!の記事をピックアップ
育休を取るにあたって調べたときの日記です。まだまだいろんな障壁(?)の多い男性の育休ですが、世間には少しずつ追い風が吹いているように思います。この日記を読んで「育休取ってみようかなぁ〜」ともし少しでも思って頂ければ存外の喜びです。m(_ _)m




新しいブログの紹介

現在、こちらのブログは更新していません。
新しいブログはこちら


記事内容

2011年06月15日

【本を紹介!】

【書籍】ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい(加藤秀一)[後編]


書籍「ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい」の紹介、後編です。

前編→「性別ってなに?男女の二つしかないの?客観的な性別?主観的な性別?」


ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい [単行本] / 加藤 秀一 (著); 朝日新聞社 (刊)

ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい
加藤 秀一
朝日新聞社


前編の「ジェンダー」って何のこと?では「ジェンダー」の意味は主に4つあると紹介しました。
  1. 性別そのもの(何を性別というのか?男性と女性の2つだけ?)
  2. 自分の性別が何かという意識(ジェンダー・アイデンティティ。性と意識は一致するか?)
  3. 社会的につくられた男女差(ジェンダー差。何を性差と呼ぶのか?)
  4. 社会的に作られた男女別の役割(ジェンダー役割。「男は/女は◯◯すべき」はどこから来るのか?)


今回は、性差ってなに?性的役割ってなに?について書きたいと思います。


■性差ってなに?

こんな例から性差についての説明が始まります。男性と女性ではどちらが背が高いでしょうか?男性でしょうか?ちなみに、テニスのシャラポワ選手は身長183cmらしいです。僕はこんなに背が高くありません。。では、女性の方が背が高いのでしょうか?「いや、そういう話じゃないでしょ。」多くの人は直感的にそう感じると思います。なぜ、シャラポワ選手と僕の個人的な比較は性差と呼べないのでしょうか。

性差は、本の中ではこう定義されています。“性差というのは統計学的な概念”  である。これだけでピンと来る人もいると思いますが、男性の方が"平均的に"身長が高いということを知っているから、男性の方が背が高いと感じることができるのですね。男性と女性の身長の平均をそれぞれ比較して、統計学的な違いが認められて初めて「身長には性差がある」と言えるのです。

より厳密に定義してこのように書かれています。“性差とは、男性の集団の性質と女性の集団の性質を比べて見つかる違いである。”

ここで、性差から来る「性差別」について考えなければいけないと本は論を展開しています。例えば、先の身長の話で言うと、「男性は女性より身長が高い」ことは性差ですが、「男性は女性より身長が高いはずだ」と書くとちょっとニュアンスが変わってきます。"〜はずだ"を付け加えただけなのですが、シャラポワ選手より背の低い僕は「男性である【お前】は女性より身長が高いはずだ」と言われたときに傷つくかもしれないからです。(身長が低いことで傷つく、というのもこれはこれで1つの偏見ではあるのですが。ここではあまり深く書かないようにします。。)

つまり、性差は集団としては「そうであるケースが多い」というだけで、「必ずそうである」と断言できるものではないのですね。なるほど。これは重要な指摘だと思いませんか? 世の中には「男は〜はずだ」や「女は〜はずだ」という考えが溢れています。例えば、「男は外で稼ぐことが得意なはずだ」「女は家事育児をするのが得意なはずだ」などです。もうお分かりですね。「外で稼ぐのが得意な男が多い」「家事育児するのが得意な女が多い」というのが百歩譲って性差だとしても、(※本ではここでも注意が必要と言っています。つまり、現時点の社会の中で統計的な差があったとしても、それが本当に性差なのかは検証が必要であると。偏見から派生して統計上の数字に表れているだけの可能性もあるという指摘をしています。)"〜はずだ" は性差ではなく、性差別につながります。「就職面接で、女性も同じ得点だったけれど、男性を雇うことにした。」となれば、これは性差別です。男性の中でも家事育児が得意な人がいるかもしれないし、女性の中でも仕事が得意な人がいるかもしれません。そうした個人の特徴を無視して、集団としての特徴に押し込めて勝手に周りが処遇を決定することが「性差別」なのです。「性差」と「性差別」は違う。すごく大事な視点をもらうことができました。

〜コラム〜 女性専用車両は男性差別?

電車で、通勤ラッシュ時間帯などに女性だけが乗れる女性専用車両というものがありますが、これは女性だけが乗れるから女性優遇なのでしょうか?男性が乗れないから男性差別になるのでしょうか?これについて見事に論じてくれている文章が本の中にありましたので紹介します。
“女性専用車両は、そもそも痴漢する男がはびこっていて、多くの女性たちが不愉快な思い、怖い思いを強いられているという事実が前提にあるわけでしょう。だからそもそもこの問題では、女性と男性を対立させて考えること自体が間違いです。女性専用車両で不利益を被っている男性は−−いつも乗っていた車両に乗れなくなったなど−−女性に対してお門違いの憎しみを燃やすのではなく、「痴漢をする男」という真の敵を駆逐するために、女性とも、痴漢なんかしない大多数の男性とも一致団結して活動するのが筋というものです。”



■性的役割ってなに?

最後4つめの「ジェンダー」、性的役割です。前述の"〜はずだ"にも似ているのですが、"〜すべき" がここの性的役割では出てきます。"〜はずだ" が個人を無視して性差の特徴に押し込める言葉であるとすれば、"〜すべき" は個人を無視して性差によって期待される行動(〜する)を期待するよう押し込める言葉です。これが性的役割です。「男は外で稼ぐべきだ」「女は家事育児するべきだ」と役割を性的な規範として強要されることです。

性的役割の難しいところは性差別とは違って、ときに自己の達成感とも繋がっているところです。先の性差別の例でいえば、就職面接で落とされたときに「なにくそ〜!社会め〜!」となるところが、「こんな自分ダメかも。。。」と自己嫌悪に陥ってしまうことがあるというのです。本の文章を引用すると “たとえば、不妊症の女性が、子供を産むという望みを阻まれたための挫折感や喪失感に苦しめられるだけでなく、しばしば自分自身を責めるような感情に苛まれることの奥底には「女は子供を産んで一人前」という内面化された性役割規範の感覚にその女性自身が苦しめられるという要因もあると思われます。また、中高年男性の自殺が最近十年間の日本で非常に増えていることの背景には、かつてのように「一家の大黒柱」として妻子を養っていく余裕のなくなった男性達が自らの男としての不甲斐なさに打ちのめされるケースが少なくないと言われています。” とあるように自分自身も "〜すべき" だと思っていることで自分自身を苦しめているのです。

少なからずこの影響は誰もが受けているのではないでしょうか。女性の社会進出だ!と働きに出る女性が増えたとしても、一方では「女性は家事育児すべき」という規範は捨てられずに「仕事もしながら、家事育児も」という二重の役割を引き受けている人は多いのではないでしょうか。男性の方も自分一人で家族を養えるほどの稼ぎが得られなくなっている今日、(それは世代や時代のせいである可能性も高く、本人の能力のせいではないかもしれないのに!)自分を不必要に責めることはないと思います。

僕は、この文章にまるまる賛成しました。
“男は男、女は女というくくり方を重視するあまり、男のなかの個人差、女のなかの個人差を無視してしまう傾向です。仮に性的役割が、平均的な男性、平均的な女性にとっては望ましい結果をもたらしたとしましょう。たとえば「男は会社、女は家庭」という分業に、かなりの数の人が納得している状態があったとする。しかしその場合にも、「自分はずっと子供の側にいて面倒を見たい」という男性や、「結婚しても働きたい」と願う女性は、相対的に小数派であっても必ずいます。そういうい人たちに多数派と同じ生き方をしろと強いる権利は誰にもありません。多様な生き方がどれだけ有利不利なく認められるかは、その社会の成熟度を測る最高のモノサシです。”


■個人を見つめた生き方へ

トイレの男女別表記・色分け問題、という例が取り上げられていました。公共な場所では男女別にトイレが用意されていますが、『ジェンダーに取り組むということはこのような区別もやめろというのか?』という反対意見があるそうです。これについて本では次のように言っています。“真面目に対応するのもアホらしくなるようなことにすぎません。男女の色分けをしようがしまいが、どちらでもいいのです。ただし、その上で、「トイレは男女別でなければならない」という<常識>を見直してみる冷静さを持つことは必要でしょう。実際、たいていの家庭ではトイレは一つではないですか。また、インターセクシュアル、トランスジェンダー、トランスセクシュアル(注:前編にある「性別」の項目で男女という2つの性別に単純に分類されない人たち)といった人たちのなかには、自分の家以外の場所でトイレに入るたびに迷い、苦痛を感じるという人もいます。”

男女どちらのトイレに入るのか?ではなくて、個室のトイレをひとりひとりが持つという考え方はおもしろいですね。性的役割に縛られすぎないためのヒントがあるように思いました。

「育児は好きなんだけど、洗濯は苦手なんだよね〜。」
「仕事も料理も得意だよ。」
「仕事は時間そこそこで、家でゆっくりした時間を過ごすのが好き。」

仕事/家庭の2つだけではなく、無数の組合せがあるのではないでしょうか。

「今は育児に専念したい。」
「子どもがある程度大きくなったら仕事に打ち込みたい。」
「今ハマってる趣味があって趣味に時間を多く取りたい。」

時期によっても、無数の組合せはあるのではないでしょうか。

性的役割といっても、そんな単純に2つに分類できるようなものではないと思います。統計としての性差をいったん取っ払って、私とあなた、集団ではなく個人を見つめて、より良い生き方について模索しても良いのではないでしょうか。「男は外で稼ぐべきだ」「女は家事育児するべきだ」というただ2つだけの役割規範に縛られることで、失うものが何かありそうだと気付くことで、開けてくる世界があるのではないでしょうか。

ただ、その一方で、次のような思慮深いコメントもあり、この本の懐の深さを感じた次第です。“この世界から取り除かれる要素が一つだけあると言うべきかもしれません。それはすなわち、個々人がそれぞれの生き方を選んだ<結果>として残る男らしさや女らしさでなく、<規範>としての男らしさや女らしさであり、またそのような規範への欲望です。自由への恐怖とも呼ぶべき、このような<自分より大きなものに枠づけられたい、他人の自由を許さずに枠づけたいという欲望>は、決して軽視してすませるものではありません。” 

自由な生き方を目指すことも、ある意味では、「自由な生き方」という生き方を強要することになってしまうのですね。。ジェンダーの奥深さと繊細さに感服いたしました。まだまだ勉強は続きそうです・・・


おしまい。



ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい [単行本] / 加藤 秀一 (著); 朝日新聞社 (刊)

ジェンダー入門―知らないと恥ずかしい
加藤 秀一
朝日新聞社







posted by いちのせき | Comment(0) | TrackBack(0) | 本を紹介! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。